第三回YICレポート:「ヨーガと健康」

本日はyoga day。毎週水曜日午前中のインストラクターのお仕事も少しずつ慣れてきました。50代〜70代の女性、20名のクラスを担当しています。身体が思うように動かない方もいらっしゃるので、パワー系ではなく一つのポーズをゆっくり、じっくり、呼吸と身体を寄り添わせるようなヨガを目指しています。みなさんに健康で長生きしていただけますように。


しかし、大きな悩みが。。。私は昔から股関節が非常に固い。どうしても決まらないポーズがあるのです。個人的にやる分にはいいですが、講師として教えるとなるとそうはいかない。それに各関節が柔らかい方が歌のためにも良いので、なんとか股関節の固さを克服したい〜。1月から通いだしたオフィスの近くに、yoga cafeなるものを発見。オーナー、インストラクターは私が通っている二ケタン出身者のようで、毎週月曜日はパーソナルレッスンをしているそうです。ちょっと高いけどトライしてみようかな。そういえば、バリに旅行に行った時、ホテルにヨガスタジオがあり、男性の先生にマンツーマンレッスンをしてもらったのでした。全部英語でしたが、非常に充実した90分だったなあ。余裕ができたらバリ島、また行きたいなあ(現実逃避)。


さて、二ケタンのヨガレポートに取りかかります。今回のテーマは「ヨーガと健康」。WHO(世界保健機構)の健康に対する概念では以下のように提案されています(1999年総会)。
「Health is a state of complete physical, mental, spritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 健康とは身体的・精神的・宗教的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」

少し解りやすく言うと、

  1. 肉体的に健やかである状態とは、身体が病気や虚弱でないというだけではなく、身体の体力値が高く、自由に肉体が動く状態を指す。
  2. 精神的に健やかな状態とは、知的に適切な教育を受け、平和な状態で毎日を過ごすことができ、心が安定している状態を指す。
  3. 社会的に健やかな状態とは、家族、地域、学校、職場に自己の役割、そして豊かな人間関係があり、生き生きと生活ができる状態を指す。
  4. 宗教的に健やかな状態とは、自己の出自(自分がどのようにしてこの世に生まれ、存在しているのか)に対してしっかりした自己認識を得て、そしてその上で自分が生きる意味、役割を得ている状態を指す。


ということなのかなあ、と思います。
ですが、この「spiritual(宗教的と訳しました)」という言葉の扱いがとても難しいんだな。「spiritualに健康である=自己の出自に対して自己認識がある」いうことはどういうことか。これについて前回の講義の前半で先生がインドの古典や古事記や聖書を引用してお話しくださったのですが、「自分が何者なのか解っている」ということがいまいちピンとこない。講義を受けてから少したって、私が「これだ!」と思った物語がありました。なんと、今やっている大河ドラマ平清盛」でございます。原作は「祇園精舎の鐘の声〜」で始まる 「平家物語」ですね。(以下NHKサイトのあらすじに、私が少し書き加えたもの)

平安末期、1118年京都。300年の平安を誇った貴族の世も乱れ、平氏の嫡男・平忠盛は、当時の最高権力者・白河法皇が、白拍子に孕ませた子(不吉な子として殺されようとしていた)を引き取り、自分の嫡男「平太(のちの平清盛)」として育てる。時が流れ、少年として成長した平太は町で出会った見知らぬ少年から実の父親が、平忠盛ではないことを知らされる。「自分はいったい誰なのか?」平太は悩み、もがき続ける。平氏一門の他の人間からも「正妻との間に男子があるのに、実子ではない平太が嫡男であるのはおかしい。」という声が上がる。そこで忠盛は平太と小舟で海に出て、出生の秘密を打ち明け「おのれにとって生きるとはいかなることか。それを見つけよ。その時、心の軸ができる。心の軸が体を支え、体の軸が心を支えるのだ。今はまだおまえは平氏に飼われている犬だ。俺のもとにおらねば生きてはいけぬ、弱い犬だ。死にたくなければ―――強くなれ」と諭す。


幼い頃の清盛のように「自分の両親が解らない=自己の出自が解らない」という状態は非常に辛いことでしょう。解ったとしても、今生きている場所に出自がないとなれば、「自分はここで生きている価値があるのか」と悩むのも当然です。父忠盛は清盛に「心身を鍛え(肉体的、精神的に強く)、武士としての技術を磨き(社会的に強く)、生きる意味を見つけよ(宗教的に強く)」と諭しています。そして忠盛は、その後清盛に「殺されそうになった赤子を引き取り、自分の嫡男として育てると決めてから、自分の軸ができた」と打ち明けています。「身体の軸が心を支え、心の軸が身体を支えるのだ。」いやあ、この辺りのセリフはかなりぐっときますよ。脚本家さん、中井貴一さん、素晴らしい。


この時代、武士として生き抜くためには、他の武士や山賊海賊に負けない強い力が必要であったのでしょう。現代で考えれば「ストレスに負けない心身を保ち、この時代で生き抜く知識と知恵を増やし、技術や職を得て、社会の中で役割を持ち、自分自身が生きる意味を見出すということ」なのかな、と。(去年の私は社会的に不健康でした。。。)そんなことをこれからレポートにまとめたいと思います〜。