公人の範囲と文字の暴力

公人:議員や公務員など、公務についている人。その立場で行動や発言をする場合に、私人に対していう。 (国語辞典より)
この言葉について、考えさせられることがあった。今日本で一番話題になっている「公人」の婚約者が仕事の場でご一緒した人だという。「公人」は噂や評価されるのは仕方ない。それだけの責任がある立場にいて国民の税金をもらっているのだから。しかし「公人」の家族やパートナーまで、そうなってしまうのは恐ろしい。図らずもその立場になってしまうこともあるのだから。
「おおやけのひと」という意では、表現をする人間も同じのように思う。自分の名で行動、発言するのだから、いい評価も悪い噂も自分の責任で受け止めないといけない。当たり前のことだけれど、その覚悟が必要。だから生半可な気持ちで表現をしようとするのはとても危険のように思う。特にネットが普及した現代、人々の意見、評価、噂が簡単に自分の耳に、目にはいってくる。
書いた文字は話した言葉より、ときに大きな力を持つ。良いことも悪いこともその威力が増すように思う。文字の暴力は言葉の暴力よりも何倍も大きい。自分もこうして公の日記を書き、自分の名前を出しているのだから肝に銘じなければ。